滑落とクマとおれ
最近
山に毎週のようにいくようになり、
山岳事故やクマによる被害を検索することがめっきり増えた。
また実際に山歩きをしてみて思うことは、
「これ落ちたら死ぬな…」
とリアルに思える箇所が数百メートル級の低山でもそれなりにある。
実際に落ちてみようという気にまではならなくても、
滑落死が人生の落としどころとして最適なのではないかと思ってしまう。
自分が生まれた意味について考えるのは、
今に始まったことではないが
両親からの深い愛情は感じつつも、
おれが生まれた理由として、親のペット以上の価値が見いだせるのか?
おれは自分の人生の限界を感じ始めている。
貯金ができるわけでもない。
恋人ができることもない。
会社で後々中核を担うポジションにつくビジョンも見えない。
毎週に山に登って滑落して死ねそうな場所を見つけては、
「おれはここでいつでもこの人生を終わらせられるんだぞ
いよいよ本当に辛くなればここに来ればいいのだ」
と
愛だの恋だの仕事の出世など
俗っぽい社会に挑みかかるように思いついた。
子供っぽいと言われればそこまでだが、
実際、そう思うことで、もうすこしは生きてみようと思えます。
あるいはクマによる殺害でもいい。
クマに食い殺されることは、恐ろしいことではある。
彼らに食われることでもっとも恐いのは、
しっかりとどめをさしてから食うのかどうか。
つまり生きたまま食われる可能性があるということ、
こうなれば地獄の苦しみを味わいながら絶命することになるが
自分のような半端なものにはある意味ふさわしい最後なのではないかと少し思った。
これを友人にはなしたところ
「そこまでの罪はお前にはない」
とのことなので、
クマにあったら、今のところは全力で抵抗しようと思います。