卒論が終わりました。
ちょっと遅れましたが、卒論が終わったので、その報告をと
はい
終わりましたよ。卒論。
終わってなんだが、そこから次の日には、両親がこちら(東京)にきて
引っ越しの手伝いをしてもらってたんですが。
なんと、祖父がなくなり強制的に地元に帰ることになりました。
両親も来ていたので速攻で地元に帰らないといけないので大変でした。
主に親の財布が、トホホ。
そんな感じで葬式についてはもうすでにかいたと思うので、割愛とさせていただき
卒論の方ですね。
これはねー。いやー。
以外としょぼかったすね。
規模が。
最初は僕事前情報なしだったので名簿にかいてある人は全員くるのかなあと漠然と考えていたのですが、
なんと発表する人だけが自分の時間に来て、発表するというスタイルでしたね。
これだと、会場にいる人員が20人もいないくらいなのでまじで
小学校のクラス発表よりもしょぼい。
まじで、
ただ教員は常にいて学生に質問しなくてはいけないので常駐していましたけど
教員の質問はわりと手加減なしでボロカスにいってた気がしますね。
なかにはカタカナばっかりで日本語でしゃべってるのに何言っているのかさっぱりわからん人もいましたね(一応ぼくの教員ですが)
いざ自分の番がくると、ちょっと段取りがわからんくて2分くらいグダりましたけどね。
なんか前の発表していた班の人が、同じ研究室同士で共有してるパソコンを用いて、同じフォルダにあるパワポの資料を再生させてプレゼンしている形式だったのでまあ、USBメモリもって前行けばええやろとおもったら、自前のパソコンでやらなきゃいけないということだったらしくUターンしました。
そんで、自分のパソコンをプロジェクタにつないで発表とかやったことがないのでかなり手間取りましたね。
そういう感じで前で恥かいたので、もう恥ずかしいことは何もないという精神には持って行けたので、多分発表中声が震えるとかはなく終えられたと思います。
しかし、自分の発表が他の生徒の発表に比べ明らかに内容が薄いのは自分の発表の番を待っている(他の人の発表を聴いている)段階で明らかでした。
なので、先生も察したのか、あんまり責めた質問はしてこなかったように思います。
ただ、中間発表の際に、ちゃんと指導教員と話あいをして、自分の研究の方向性を決定していかなければだめだよと言ってくれた教員から受けた質問はかなり本質的でそれを言われるともう、この研究自体無意味になる気がするものを受けました。
なので、内心それはそこにいるぼくの指導教員にいってくれと思っていましたが、、
やり直しになるほうが嫌なのでおとなしくしていました。
まあ、なんとか発表の質疑応答を終え、休憩時間になれば
速攻で退室しようと思っていると、
休憩時間になったときに研究室の学生からあずかった卒論(製本バージョン)を手渡してきました。
そのときに、金曜日に事務室での検印を忘れないでね
とだけ言われました。
しかし、それで最後でしたね。
まさか、1年3カ月ぶりに再会した指導教員との会話が5秒程度で終わるとは、
もう、あっけなさ過ぎて割と「ああ、、そう」となりましたが、
むしろそっちのが気楽でいいかなあ、という気持ちもあります。
研究室行ってなかった僕には
この1年間、学校に行くことはカウンセリングに訪れることでした。
発表を終えた次の日にカウンセリングを訪れましたが、
所属する研究室の教員よりも長く接していてくれたカウンセリングの先生の方が
指導教員らしく思えています。先生には、感謝の気持ちしかありません。
長くなりましたが、こんなとこです。
これを見ている人がいたらおそらく卒論で悩んでいるか、卒論を終えた開放感に浸っていると思います。
まあ、こんなね、研究室から出禁をくらい引きこもり卒論発表会にだけ参加してる底辺大学生がいるのも良ければご記憶下さい。
ありがとうございました。